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奈良その2

法隆寺(ほうりゅうじ)にやってきました。法隆寺は、奈良県斑鳩町にある寺院です。聖徳太子ゆかりの寺院で、世界最古の木造建築になります。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
西院伽藍と呼ばれている金堂、五重塔、中門、回廊は聖徳太子の時代のものではなく、7世紀後半頃の再建であることが判明していますが、それでも世界最古の木造建造物群であることは間違いないと言われています。
法隆寺01

下は中門です。門内の左右に日本最古の金剛力士立像が置かれています。
法隆寺02中門
法隆寺03中門金剛力士像


金堂です。
法隆寺05金堂


堂内には釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来が本尊として置かれています。
下は釈迦三尊像のポスター画像で、止利仏師作といわれる像で、日本仏教彫刻史の初頭を飾る名作です。
釈迦三尊

下は五重塔です。木造五重塔としては現存世界最古のものです。
法隆寺04五重塔

正岡子規の名句「柿くへば鐘が鳴りなり法隆寺」
法隆寺06子規

夢殿です。奈良時代の建立の八角円堂です。
法隆寺09夢殿
夢殿中央の厨子に置かれている救世観音像は、聖徳太子の等身像として伝わっていました。長年秘仏であり、白布に包まれていた像で、太子の怒りを恐れて、誰も見ることはありませんでした。明治初期に岡倉天心とアメリカの学者フェノロサが初めて白布を取った時、僧侶たちは恐怖で逃げ出したといいます。今も一般公開は春と秋に限定されて公開しています。

中宮寺(ちゅうぐうじ)にやってきました。中宮寺は、奈良県斑鳩町の法隆寺に隣接する寺院です。聖徳太子が創立者とも言われ、太子とゆかりの深い寺です。
中宮寺01
中宮寺02
本尊の弥勒菩薩半跏像のポスター画像です。広隆寺の弥勒菩薩半跏像とよく比較される。
半跏


平城宮跡にやってきました。平城宮とは、奈良の都「平城京」の中心部だった場所です。大極殿などがあります。大極殿は元日朝賀や天皇の即位などの重要な儀式が行われた都の中心施設のこと。
この広さ!
平城宮01

下は第一次大極殿です。第一次大極殿は奈良時代前半に大極殿があった場所に、2010年平城京遷都1300年を記念し、復元されたものです。
平城宮02大極殿
平城宮04大極殿
高御座(たかみくら)といい、天皇が着座する玉座です。
平城宮03高御座


第二次大極殿の跡地です。第二次大極殿は奈良時代の後半に大極殿が置かれた場所を発掘したもの。
平城宮05第二次
平城宮06第二次

朱雀門(すざくもん)の復元です。朱雀門とは平城宮の正門です。
朱雀大路といい、都のメインストリートです。
平城宮07朱雀門
平城宮08朱雀門

遣唐使船です。
平城宮09遣唐使船
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奈良その1

東大寺(とうだいじ)にやってきました。東大寺は奈良市の寺院です。奈良時代に聖武天皇が「総国分寺」として建立した寺です。
東大寺は「古都奈良の文化財」として、世界遺産に登録されています。
近鉄奈良駅前。行基(ぎょうき)像が迎えてくれます。行基は大仏造立に協力しました。大仏造りのような大規模プロジェクトは、民衆への負担が大きいので、民衆に人気のある行基のような人物の協力が不可欠でした。
行基像

下は南大門です。
東大寺01南大門
門内には巨大な金剛力士像などがあります。高さ8.4メートルの巨大な木像で、門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)が置かれています。とにかくデカかった。鎌倉時代に運慶・快慶が中心になって作られています。
東大寺02金剛力士像
東大寺03金剛力士像

下は金堂(大仏殿)です。
東大寺04大仏殿
東大寺中央に位置し、高さ約49.mで、世界最大級の木造建築として知られています。

ご存知、奈良の大仏(ならのだいぶつ)です。東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)が正式名称です。
東大寺05大仏
東大寺07大仏
東大寺08大仏
聖武天皇の命により、752年に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われました。
像の高さ約15メートル。
何度か消失し、現在の大仏は江戸時代のものです。
大仏殿の柱の中に、大仏様の鼻と同じ大きさの穴が開いているものがあります。
東大寺06柱
穴をくぐれるとご利益があるそうですが、子供が通るのが精一杯かな。

下は法華堂(三月堂)です。法華堂は数少ない奈良時代建築の生き残りの1つです。
東大寺09法華堂
法華堂内には多数の仏像があります。不空羂索観音立像、梵天・帝釈天立像、金剛力士・密迹力士立像、四天王立像などがあります。
東大寺法華堂不空羂索観音像
上は不空羂索(ふくうけんさく)観音立像のポスター画像。

下は二月堂です。
東大寺10二月堂
東大寺11二月堂
東大寺12二月堂
旧暦2月に「お水取り」が行われることで有名です。お水取りでは童子に担がれた松明から火の粉が雨のように降り注ぐことで知られています。春の風物詩になっています。

下は戒壇院です。
東大寺14戒壇院
内部には宝塔があり、その周囲を四天王像が守っています。
東大寺戒壇院像
四天王像のポスター画像です。

奈良といえば鹿軍団。あまりに暑いためか涼んでいます。
東大寺13


興福寺(こうふくじ)にやってきました。興福寺は、奈良市にある寺院です。藤原鎌足・不比等親子により始められた藤原氏の氏寺です。藤原氏の絶頂期である平安時代には、興福寺も絶頂期を迎え、奈良一帯の荘園のほとんどを所有していて事実上の大和国主となっていました。興福寺は「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されています。

五重塔です。聖武天皇の皇后・光明皇后の発願で創建されましたが、現存の塔は室町時代の再建です。高さ約50メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高いです。景観を損なわぬように、市内では塔をかくすような建物を作らない不文律があります。
興福寺01五重塔


猿沢池です。五重塔との調和が見もの。五重塔が水面に映るとすごく美しいみたい。
興福寺02猿沢池

東金堂(とうこんどう)です。現在の建物は室町時代の再建です。堂内には様々な仏像があります。
興福寺03東金堂


興福寺国宝館です。まさに素晴らしいお宝だらけ。
興福寺04国宝ミュージアム

千手観音像のポスター画像です。
興福寺千手観音像

憂い顔が魅力的な阿修羅像のポスター画像です。
興福寺阿修羅像

銅造仏頭(旧山田寺仏頭)です。
興福寺仏頭
奈良以前の白鳳時代の作品で、白鳳文化を代表する作品です。室町時代の火災の後、行方がしれなくなっていましたが、昭和になって見つかったものです。


春日大社(かすがたいしゃ)にやってきました。春日大社は奈良市にある神社です。藤原不比等以来の藤原氏の氏神です。
ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されています。
長い、長い春日大社参道が迎えてくれます。春日大社一の鳥居。
春日大社01一の鳥居
春日大社02
下は南門。
春日大社03南門
砂ずりの藤です。
春日大社04砂ずりの藤
春日大社05
春日大社本殿です。
春日大社06本殿

京都その4・彦根

彦根城(ひこねじょう)にやってきました。彦根城は滋賀県彦根市にある城郭。江戸時代のまま現存する天守閣などの、多くの国宝を有し、世界遺産の登録をも目指しています。
ちなみに姫路城、松本城、犬山城、彦根城を国宝4城といいます。

彦根01井伊直政
彦根駅前の銅像は、徳川家康に仕え、彦根藩の藩祖となった井伊直政です。

以後、江戸時代を通じて彦根藩井伊家は、別格の譜代大名として、幕府の最高職である大老を出す家柄となりました。その最も有名な例が、幕末の井伊直弼(いいなおすけ)です。
彦根城のお堀(中堀)の外、ひっそりとした佇まいの小さな屋敷が、「埋木舎(うもれぎのや)」です。
彦根02埋木舎1
彦根03埋木舎2
あの井伊直弼が、17歳から32歳までの15年間を世捨て人のように暮らした屋敷です。埋もれ木とは、花が咲くことのない、という意味。彦根藩主の子とはいえ、兄弟が多かった上に側室の子であった直弼が、日の目を見る見込みはありませんでした。
直弼はこの屋敷で、熱心に茶道、和歌や鼓、などを学んでいましたが、世間には軽んじられ、「チャカポン(茶・歌・鼓)」とあだ名されました。
このチャカポンが、運命のいたずらか、埋もれ木を脱し、彦根藩主となり、最終的には幕府の最高権力者にまでなってしまうのだから、人生はわからない。尊王攘夷派に対して、直弼が行った強硬な弾圧が「安政の大獄」です。そしてその反動の「桜田門外の変」で、直弼は暗殺されてしまいます。

お堀です。
彦根04お堀
彦根06お堀

馬屋です。昔の日本の馬は短足?なのかな?今のサラブレッドなどと比較するとずいぶん違いますね。
彦根05馬屋

彦根07
彦根08

天守閣です。
彦根09天守
彦根10

西の丸三重櫓から琵琶湖が見えました。
彦根11西の丸三重櫓

ひこにゃんです。彦根市のマスコットキャラクター。大人気です。
赤いカブトは井伊家伝来の「井伊の赤備え」をモデルにしてるみたい。
ゆるキャラ(この語を発明したのはみうらじゅん氏)ブームの元祖かな。
彦根12


西本願寺(にしほんがんじ)にやってきました。西本願寺は、京都市下京区にある浄土真宗の寺院です。「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されています。
下は唐門です。
西本願寺01唐門

阿弥陀堂(本堂)です。
西本願寺02阿弥陀堂
西本願寺03阿弥陀堂堂内
西本願寺04廊下

御影堂です。でかい。本堂と回廊でつながっていますが、本堂よりもでかい。
西本願寺05御影堂
西本願寺06御影堂
西本願寺07御影堂
幕末期には有名な剣客集団・新選組の本拠地ともなっていました。

琵琶湖(びわこ)遊覧船に乗ってきました。やはり雄大でした。
琵琶湖01
琵琶湖05
ご存知、琵琶湖は、滋賀県にある湖。日本で最大の面積で、滋賀県の面積の6分の1を占めます。大阪湾へと流れ出る川は、瀬田川(滋賀)・宇治川(京都)・淀川(大阪)と名前を変えていきます。

琵琶湖にはいくつかの小さな島があります。今回は多景島(たけしま)に上陸してきました。多景島は島内全域が日蓮宗見塔寺の敷地になっています。
琵琶湖02

「南無妙法蓮華経」の文字が彫られた岩です(高さ10m)。桜田門外の変の際に岩から鮮血が滲み出たとの言い伝えがあります。
琵琶湖03
日蓮上人像です。
琵琶湖04

京都その3

仁和寺(にんなじ)にやってきました。仁和寺は、京都市右京区にある寺院です。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されています。
中学校の古典で習う「徒然草」「仁和寺にある法師」の章でも有名ですね。
また仁和寺の桜は「御室桜」と呼ばれ、満開は例年4月20日過ぎと遅咲きです。
仁和寺御室桜

二王門です。いきなり迎えてくれます。すごくデカイです。
仁和寺01二王門
左右に金剛力士像があるため、二王門というらしい。
仁和寺02二王門

下は金堂(国宝)です。元は皇居の正殿・紫宸殿として使われていた建築物を江戸初期に移築したものらしい。
仁和寺03金堂

下は五重塔です。
仁和寺04五重塔
下は御殿入り口です。
仁和寺05御殿
宸殿のふすま絵が見事ですね。
仁和寺09宸殿内部
石庭も庭園も見応えありました。
仁和寺07石庭
仁和寺08庭園
仁和寺10庭園


京都大学にやってきました。京都大学は日本で2番目に創設された(旧)帝国大学系の国立大学です。国家官僚育成の使命を帯びた東京大学に対して、京都大学は「自由の学風」を謳っています。
京大00
上は時計台。エリート校らしくカッコいいですね。キャンパスも、昔来たときはもっと薄汚い感じがしたのですが、今はこぎれいでいい感じ。

私が京都大学を訪れたのは真夏の8月ですが、何か騒がしいので、グラウンドに行ってみると・・・
何と夏の甲子園さながら野球の試合と猛烈な応援!
京大01
京大02
京大野球部っぽい。
何と相手は、宿敵・東京大学だった!どうりで応援に気合いが入ってたわけだ笑
京大03

京大といえばノーベル賞ですね。
京大04
上は福井謙一先生の記念のもののようです。日本人第一号の湯川秀樹博士はじめ京大から五名の卒業生が受賞しています。最近受賞した山中伸弥先生も(ご自身の卒業は神戸大学ですが)、京大で研究活動をされていますね。


北野天満宮(きたのてんまんぐう)にやってきました。北野天満宮は、京都市上京区にある神社。菅公(かんこう)こと菅原道真公を祭る。福岡県の太宰府天満宮とともに、学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。ちなみに学生服のメーカー「カンコー学生服」の由来はもちろん菅公(かんこう)ですね。
北野01
北野02
北野03
東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな
上記の作品は、道真が無実の罪で大宰府に流された際に歌った有名なもの。このように道真は梅をこよなく愛し、今も2月には梅花祭が行われています。
北野04
また牛は天満宮において祭神の使いとされて、神社内にもたくさんの牛の像が置かれています。
みんな牛を撫で撫でしていました。

平安神宮(へいあんじんぐう)にやってきました。平安神宮は京都市左京区にある神社です。
平安神宮01応天門
上は應天門(おうてんもん)。神宮の入り口です。

平安神宮は明治時代に、平安京当時の大内裏の一部復元として、実物の8分の5の規模で復元されました。平安京への遷都を行った桓武天皇を祀る神社とされています。
下は大極殿(だいごくでん)です。平安時代には天皇がお出ましになり、詔(みことのり、天皇の言葉)を発せられた場所。つまり日本の政治の最も中心だった場所が大極殿(だいごくでん)でした。
平安神宮03大極殿
毎年10月に時代祭が行われています。祇園祭、葵祭に比べると、明治時代からスタートなので歴史は浅いですね。
平安神宮02


京都は嵐山にやってきました。
渡月橋
上は渡月橋(とげつきょう)です。
桂川に架かる橋で観光名所。紅葉が綺麗な秋に来たいものです。

天龍寺(てんりゅうじ)です。
天竜寺01
臨済宗の寺院で、創立者はあの足利尊氏です。尊氏が後醍醐天皇をとむらうために建てました。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
下は天竜寺大方丈です。この方丈の前から庭園が始まります。
天竜寺02方丈
庭園の曹源池(そうげんち)です。
天竜寺03庭園
天竜寺04曹厳池
天竜寺05曹源池

天龍寺と野宮神社の間にある「竹林の道」です。いい感じ。
嵐山02竹林01
下は野宮神社(ののみやじんじゃ)です。鳥居は樹皮がついたままの「黒木の鳥居」ですね。
野宮神社




鹿苑寺(ろくおんじ)にやってきました。鹿苑寺は、京都市北区にある臨済宗の寺です。足利義満の北山の別荘をその死後に寺としたものです。金箔を貼った楼閣を含めた寺院全体は金閣寺(きんかくじ)として知られています。ユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」に登録されています。
金閣01
金閣02
金閣は1950年に学僧の放火により炎上しました。しかし大修理の際の詳細な解体図面なども残っていたため、金閣は5年後に再建されました。この放火事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』などでも、とりあげられているので有名ですね。


龍安寺(りょうあんじ)にやってきました。龍安寺は、京都市右京区にある臨済宗の寺院で、石庭で知られます。創立者は応仁の乱の東軍総帥の細川勝元です。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
龍安寺01
龍安寺02
龍安寺03
「龍安寺の石庭」は奥行 10 メートル幅 22 メートルの敷地に白砂を敷いて、そこに15個の石を点在させた庭である。日本人独特の研ぎ澄まされた感性で描いた「枯山水」の庭として、国際的にも評価は高いですね。

下は鏡容池(きょうようち)です。周囲は回遊式庭園になっていて、楽しめます。
龍安寺07鏡容池
龍安寺05
龍安寺06

京都その2

京都御所(きょうとごしょ)を参観してきました。京都御所は、京都市上京区にある御所です。東京遷都まで歴代の天皇が住んでいました。現在も、皇室の京都行幸の際の宿泊や、国賓の宿泊に使用されています。また一般人でも宮内庁に参観申請をすると参観出来ます。
まずは御車寄(おくるまよせ)です。昇殿を許された者の玄関口です。
御所01御車寄
次に諸大夫(しょだいぶ)の間です。正式な用向きで参内した者の控える建物。ふすまの絵にちなんで、格の高い順に「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と呼ばれていました。
御所02諸大夫の間
御所03諸大夫虎の間
下は新御車寄(しんみくるまよせ)です。こちらは大正天皇以降の天皇を迎える玄関口になります。なぜ御所に天皇の入り口が必要になるか、というと、大正天皇、昭和天皇の2代については普段は東京の皇居にお住まいになりますが、即位式のみは京都御所で行ったため、こういった玄関口が必要となったわけです。
御所04新御車寄

朱塗りの承明門(じょうめいもん)の向こうに見えるのが紫宸殿 (ししんでん)です。
御所05承明門
御所の正殿で、東京遷都後もここで天皇の即位式が行われていました。(ただし昭和天皇まで。今上陛下は東京で行った)
御所06紫宸殿
内部の中央に高御座(たかみくら、天皇の座)、その東に御帳台(みちょうだい、皇后の座)が置かれています。
建物正面の階段の左右には「左近桜」と「右近橘」があります。ちなみにこういう場合の左右は「天皇から見た視点」で決まります。例えば京都市に右京区、左京区という区がありますが、御所が南向きのため、東側が左京区、西側が右京区になります。

下は清涼殿(せいりょうでん)です。天皇の居住兼執務所として使われていました。
御所07清涼殿
中央手前の畳は、「昼御座」(ひのおまし)といい、天皇の執務場所です。その奥は休憩所である御帳台(みちょうだい)です。
御所08清涼殿内部

下は小御所(こごしょ)です。
御所09小御所
1867年に大政奉還後の徳川慶喜の処遇を巡って大激論が交わされたのがここでした。慶喜に対し非情な辞官納地を迫る岩倉具視+薩長に対し、土佐藩主山内容堂が慶喜を擁護します。最後は西郷隆盛の恫喝に容堂がビビって薩長の意見が通ったとか。
御池庭(おいけにわ)です。回遊式庭園です。
御所10御池庭
下は巨大な御常御殿(おつねごてん)です。御所の中で最も大きな御殿で、孝明天皇、明治天皇2代で使用されたそうです。巨大すぎて写真に収まりきれない。
御所11御常御殿
下は蛤御門(はまぐりごもん)です。幕末の1864年、長州藩対会津・薩摩・桑名藩が御所の御門周辺で激しい市街戦を繰り広げました。この門にはその時の弾痕が今も残っています。
御所12蛤御門





下鴨神社(しもがもじんじゃ)にやってきました。下鴨神社は、京都市左京区にある神社です。正式名称は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)です。
下鴨05
毎年5月に葵祭(あおいまつり)が行われることでも有名です。葵祭りは京都三大祭りの一つであり、庶民の祭りである祇園祭に対して、貴族の祭になります。
平安時代の貴族の装束で、華麗に行列が行われます。
下鴨00
糾の森(ただすのもり)です。
下鴨04糾の森

御手洗川(みたらしかわ) です。
下鴨06御手洗川
普段はあまり水がないようですが、土用の頃になると水がコンコンと湧くそうで、その様子からみたらし団子の語源になったそうな。

下は鴨長明(かものちょうめい)の方丈(ほうじょう)=住まいのことです。
下鴨01方丈
日本三大随筆「方丈記(ほうじょうき)」の作者である鴨長明が暮らしたそうです。そもそも、鴨長明は下鴨神社の神官の子供として生まれ、自身も神職を務めていました。が、五十代以降はすべての公職を退き、このような方丈で世捨て人的な暮らしをしました。その中で生まれた随筆が「方丈記」なのです。
下鴨02方丈内部


同志社大学もサクッと見学してみました。レンガ造りがなかなか趣があって、カッコいいですね。同志社大学は1875年に新島襄(にいじまじょう)が創立した同志社英学校を前身とする大学です。旧薩摩藩邸の跡地に作られました。
同志社01
プロテスタント系の流れを組む学校だそうです。大河ドラマ「八重の桜」で注目を集めそうです。(主人公の新島八重は新島襄夫人)


伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)にやってきました。伏見稲荷は京都市伏見区にある神社で、全国に約4万社ある稲荷神社の総本社です。
伏見01
伏見02

下が名物の千本鳥居(せんぼんとりい)です。千本鳥居は狭い間隔で多数建てられ名所となっています。実に美しい。
伏見03

奥社奉拝所の奥に「おもかる石」という石があります。
伏見04
この石は試し石のひとつで、願いを念じて持ち上げた時、重さが予想していたより軽ければ願いが叶い、重ければその願いは叶わないといわれています。私も持ってみましたが、けっこう重かった笑


東寺(とうじ)にやってきました。東寺は、京都市南区にある寺院で、「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれています。
東寺01
五重塔です。高さ54.8メートルで、木造塔としては日本一の高さを誇る東寺のシンボルです。東寺というより京都のシンボルと言ってもいいでしょうね。現在の塔は江戸初期に建てられたものです。
東寺04五重塔

下は金堂です。東寺の中心で、現存の建物は1603年の再建だそうです。本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩が安置されています。
東寺03金堂
下は講堂です。現在のものは室町時代に再建されたものです。講堂には大日如来を中心として全部で21体の彫像があります。
東寺02講堂
下は東大門。別名不開門(あかずのもん)です。1336年に新田義貞が、東寺にいた足利尊氏を攻め、尊氏は門を閉めて危うく難を逃れた故事からこのように呼ばれるようになったとか。
東寺05不開門

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