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札幌市

札幌市にやってきました。札幌は北海道の道庁所在地で、人口192万弱の道最大の都市です。この人口は、東京23区、横浜、大阪、名古屋に次ぎ、全国で5番目の多さです。
$中学受験社会のブログ
北海道大学の農学部です。北大は1872年設立の札幌農学校をもとに、1918年に「北海道帝国大学」として創設されました。ちなみに帝国大学とは戦前のエリート養成機関であり、全部で9つ創設されています。できた順番にいうと、東京帝大、京都帝大、東北帝大、九州帝大、北海道帝大、京城(ソウル)帝大、台北(タイペイ 台湾の都市)帝大、大阪帝大、名古屋帝大の順番でした。当時日本領だった朝鮮や台湾にも最高学府を創設していたのですね。ちなみにこれら「旧帝国大学」は、現在でも各地方で別格の評価を受けている大学群ですね。
中学受験社会のブログ-くら1
有名なクラーク博士の胸像です。クラーク博士は今も「北大の顔」で、観光客の人気スポットになっています。クラーク博士は1876年に、いわゆる「お雇い外国人」として、札幌農学校に赴任しました。日本を去る際に「少年よ、大志をいだけ」という有名な言葉を残したとされます。
中学受験社会のブログ-くら2
これもクラーク博士の銅像。ちなみにこちらの銅像は、札幌郊外の「羊ヶ丘展望台」というところにあります。でもこちらの銅像の方が有名ですよね。そのむかし北大の方にこれがあると期待して行って、失礼ながらがっかりした経験があります。
中学受験社会のブログ-にとべ
また北大に戻りますが、この人は新渡戸稲造(にとべいなぞう)。実はこの人物も札幌農学校の出身です。ただし第二期生のため、クラーク博士とは入れ違いで、直接指導を受けてはいません。同期には内村鑑三(クリスチャンの教育者で、日露戦争に反対したことで知られる)がいます。新渡戸稲造は国際連盟の事務次長になったり、5千円札になったことで知られていますね。
中学受験社会のブログ-北大
北大は緑が多く、美しい大学です。
中学受験社会のブログ-えるむ
これは「エルムの森」と言われる場所です。
中学受験社会のブログ-ぽぷら1
中学受験社会のブログ-ぽぷら2
北大のポプラ並木です。

中学受験社会のブログ-大通り1
札幌市民のいこいの場である大通公園(おおどおりこうえん)です。これは札幌テレビ塔からのながめです。大通公園は2月には有名な「さっぽろ雪まつり」が行われます。また夏にはビアガーデンの大会場になります。
中学受験社会のブログ-大倉山
これも札幌テレビ塔からのながめですが、大通公園のはるか向こうに見えるのは「大倉山ジャンプ競技場」です。これは1972年の札幌オリンピックの際に大改修されたものです。
中学受験社会のブログ-夜景1
これは札幌駅そばのJRタワー展望室からの地上160mの夜景です。札幌の夜景はその美しさで有名です。
中学受験社会のブログ-夜景2
札幌の夜景というと、藻岩山(もいわやま)というところからの展望が有名ですが、現在は整備中で見ることができません。でもJRタワーもすごくいいですね。
中学受験社会のブログ-と境内
これが有名な札幌市時計台ですね。時計台はもともと札幌農学校の演武場として建てられました。札幌の象徴のように取り上げられることが多いのですが、実際行ってみると周囲をビルで囲まれており、今ひとつの雰囲気ということから、「日本三大ガッカリ」という不名誉な扱いをされることがあります。

中学受験社会のブログ-赤レンガ
北海道庁の旧本庁舎です。別名「赤レンガ庁舎」と呼ばれる、国の重要文化財です。
中学受験社会のブログ-真美や
赤レンガ庁舎は中を無料で見学出来ます。中には北海道に関する歴史を学べるさまざまな展示があります。写真の銅像は間宮林蔵(まみやりんぞう)という江戸幕府の役人で、樺太(カラフト)を探検し、それまで大陸と陸続きであると考えられていた樺太が、実は島であることを初めて発見した偉大な人物です。そのため樺太と大陸の間の海峡を、「間宮海峡」と呼ぶことがあります。
中学受験社会のブログ-えとろふ
江戸時代は鎖国のイメージが強いですが、田沼意次の時代以降に蝦夷地(えぞち、北海道の昔の呼び名)への関心が高まりました。上の画像の記念碑の模型には「大日本恵土呂府(だいにほんえとろふ)」と書いてあります。これの本物は1798年に近藤重蔵という江戸幕府の役人が択捉島に立てたもので、北方領土の領有権がわが国にあるという歴史的証明とも言えます。
中学受験社会のブログ-北方
北海道庁ではこのようなポスターをつくり、北方領土問題の関心を高めようとしています。もともと戦後の日本では人々の関心は「経済発展」のみに集中しており、領土問題は二の次、三の次という扱いでした。(教育が悪い) しかし昨年、尖閣諸島問題が発生したことにより、ついにこれらの問題を直視しなければならない状況が出てき始めたと言えるかもしれません。
中学受験社会のブログ-からふと
赤レンガ庁舎には「樺太の歴史」についての展示室もあります。これらの女性は樺太・真岡郵便局(まおかゆうびんきょく)の「9人の乙女」と言われる女性たちの写真です。(お一人、光の反射でお顔が見にくくてすみません) この「真岡郵便局事件」は1945年に日本がポツダム宣言を受諾した後に発生しました。ソ連が終戦のどさくさ紛れに北方四島を侵略したことは有名ですが、実は南樺太にも猛烈な攻撃を加えていたのです。(ポーツマス条約以降、樺太の北緯50度以南は日本領で、40万人以上の日本人が暮らしていました) 真岡郵便局の女性電話交換手たちは、疎開命令を拒み、最後まで任務をまっとうしようとしました。そして、せまり来るソ連軍を目前に、「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら・・」という最後の通信を残して、服毒自殺したのです。(なぜ自殺するの?降伏すればいいのに、と思われるかも知れませんが、ソ連軍は残虐であり、現実にこの年の5月に降伏したドイツの民衆、特に女性は大変な目にあっていた) これは涙なしに語れない悲劇的事件ですが、自分たちの危険をかえりみずに、最後まで自らの任務をまっとうした彼女たちは、尊い存在であると言えます。

そしてそういった精神は今も日本人の心にいきづいています。
今年の3月11日東日本大震災の直後に大津波が三陸海岸を襲いました。宮城県南三陸町の職員である遠藤未希さんは、町内の防災対策庁舎で、津波到達の直前まで防災無線で、「6メートルの津波が来ます。早く高台に避難してください」と呼び掛け、自らは津波にのみ込まれて犠牲となりました。私が最初にこの事件を聞いた時に、思い出したのはやはり「真岡郵便局の乙女」のことでした。今回の震災、津波では遠藤さんだけでなく、警察官や自衛官、市町村職員など多くの人々が、勇敢で責任感ある振るまいを最後まで行い、おかげで多くの人命が救われています。ただただ頭が下がる思いです。

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