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源平の戦い

源平の戦いについて、出題する学校が増えています。

源平の戦いは「治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)」と言われます。大武士団である源氏と平氏が1180年から1185年にかけて全国で争った戦いです。

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❶石橋山の戦い(○平氏VS源氏×)
1180年
平家打倒のため、挙兵した源頼朝だったが、相模(さがみ)国の石橋山の戦いでは大敗した。頼朝はその後、山に隠れているところを、敵の梶原景時という武士に見つかったが、景時は気がつかないふりをして頼朝を救ったという。

❷富士川の戦い(×平氏VS源氏○)
1180年
再起した頼朝は鎌倉を本拠地として力をたくわえる。平清盛は頼朝を倒すため、軍勢を派遣して、両軍は駿河(するが)国の富士川でにらみあう。ところが平家軍は、水鳥が飛び立つ音を、源氏の夜襲(やしゅう)と勘違いして戦わずして逃げてしまったという。

❸一ノ谷の戦い(×平氏VS源氏○)
1184年
義経は福原(兵庫)で、平家軍に対して険しい坂を馬で駆け下りる奇襲(きしゅう)攻撃をかけた。「鹿も四本足、馬も四本足。鹿が通れるなら馬もこせないはずがない」と言ったという。これを「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」という。

❹屋島の戦い(×平氏VS源氏○)
1185年
義経は屋島(香川)の平家軍に対して、暴風雨の中、舟で奇襲をかけた。またこの時、平家の舟に扇が掲げられ「源氏よ、この扇を射れるものなら射抜いてみよ」と挑発された。源氏方は那須与一(なすのよいち)という弓の名人が見事この扇の的を射抜いてみせたという。

❺壇ノ浦の戦い(×平氏VS源氏○)
1185年
下関の壇ノ浦(だんのうら・山口)に平家は追いつめられる。海戦となり、最初は平家が有利だったが、潮の流れが変わると源氏が攻勢に出る。平家軍とともにあった幼い安徳天皇も海に身を投げ、ここに平家は滅亡した。

❻義経の最期
1189年
頼朝と対立するようになった義経は、鎌倉を追われ、平泉(ひらいずみ・岩手)の奥州藤原(おうしゅうふじわら)氏にかくまってもらう。しかし頼朝を恐れた奥州藤原氏の裏切りにあい攻められ、悲しい最期をとげる。


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義経が最期をむかえたとされる平泉の高館義経館(たかだちぎけいかん)
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江戸時代に平泉を訪れた松尾芭蕉(まつおばしょう)が義経たちを思い、次の句をよんだという。

夏草や兵(つわもの)どもが夢のあと


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