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明治時代(1) 小5対象

明治時代(1)のプリントをupします。
個人としてダウンロードしてご家庭で活用されるのはご自由に。
商用利用はご遠慮ください。

予習シリーズ小5下巻13回に対応しています。

問題

解答


いよいよ明治時代に突入します。今後は今までに増して、重要事件が大量に登場してきますので、年号も少しずつ覚えていきながら流れを押さえていきましょう。今回のポイントは「四字熟語」だと思います。中央集権、富国強兵、殖産興業、四民平等、文明開化などなどいっぱい出てきます。

中央集権について
江戸時代までは幕藩体制でした。幕府という全国政府は存在したものの、各藩の独立性は強く、各藩ごとに言語も違えば文化も違う。そして薩摩だ、長州だと狭い日本の中でいがみあっている。そのバラバラの諸藩
を強力な中央政府のもとにまとめ上げ、「日本」という統合された国民国家をつくり出す必要がありました。さもなくば、強力な軍事力でせまり来る欧米列強に対抗することはできない。一刻も早く、天皇を頂点に頂いた中央集権国家を作り上げなければならない。そこで行われたのが1869年の版籍奉還でした。版とは土地、籍とは人民。これを各藩とも、中央政府に奉還するというものでした。しかし、これは名目上のことだけで、あまり実質的な効果がなかったとされます。何といっても諸悪?の根源が解決されていなかったから。それは何かというと、各藩に依然「知藩事」として君臨する旧大名の存在があったからです。薩摩藩には島津氏がいて、長州藩には毛利氏がいる。そして依然幕府時代と変わらぬ圧倒的な求心力をもっている。しかも当時の明治政府の宰相たちは西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允で、彼らは元薩摩藩士、長州藩士です。島津や毛利は彼らにとっては主君であり、その主君を除外するような決断はなかなかすぐには出来なかったのです。すごい抵抗も予想されたし。
で、1871年廃藩置県をむかえるわけです。1871年は藩とはいわない、で覚えましょう。これは単純に薩摩藩を鹿児島県に、土佐藩を高知県に改名しただけのことでない。懸案であった旧大名の排斥を強行したのです。旧大名たちは東京に移住を余儀なくされ、新しい知事には中央から役人が派遣されました。廃藩の実施にあたって、東京に御親兵を集め、抵抗する藩は武力で討伐する準備が整えられていましたが、意外にも各藩とも大人しく従いました。西郷にしても大久保にしても、主君を裏切るような形になり、断腸の思いだったでしょうが、近代国家創設のためにはやむをえぬことでした。一方で、旧大名たちは表面上は従ったものの憤懣やるかたなく、特に薩摩の島津久光は廃藩置県が知らされた夜、怒りの表明として一晩中盛大な花火を打ち上げ続けたと言われており、生涯、西郷や大久保を許さなかったとされています。




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