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若者たちの「最後の言葉」に学ぶ平和の尊さ

若者たちの「最後の言葉」に学ぶ平和の尊さ
先の大戦では多くの若者が戦場に散っていきました。現代に生きる私たちは彼らの「最後の言葉」から多くのことを学ぶことができます。今回は海軍少尉・植村真久さんの遺書と後日談を紹介します。

海軍少尉 植村真久 享年二十五歳 
素子(もとこ) 素子は私の顔をよく見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし又お風呂に一緒に入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたいときは、お前の母さんか佳世子叔母様に私のことを良くお聴きなさい。私の写真帳もお前のために家に残してあります。素子という名前は私がつけたのです。素直な心のやさしい思いやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。
私はお前が大きくなって、立派な花嫁さんになって幸せになるまで見届けたいのですが、もしお前に私を見知らぬままにしてしまっても、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたいときは、九段(靖国神社)へいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。父はお前は幸せものと思ひます。他の人々も素子ちゃんを見ると真久さんに会っている様な気がすると良く申されていた。
また、お前の御祖父様御祖母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がり下さるし、姉様も又、ご自分の全生涯をかけてただただ素子の幸せのみ念じて生きぬいて下さるのです。必ず私に万一の事あるも親無し児(おやなしご)などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺をまもっております。先に言ったごとく素直な人に可愛がられる人になって下さい。
お前が大きくなって、私のことを考え始めた時に、この便りを読んでもらいなさい。
  
昭和十九年九月吉日
植村素子へ

追伸 素子が生まれたときオモチャにしていた人形は、お父様がいただいて自分の飛行機にお守りにして乗せております。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えてあげます。

植村真久さんの後日談
広島県江田島町 元教育委員長 岡村清三氏の講演より
彼は立教大学を出て、三重県海軍航空隊と台南航空隊を経て、九州の大村航空隊に帰って、そこからフィリピンへ飛んで、セブ島から突っ込んで死んだんですが、その大村航空隊を出る時に、こんなことがありました。皆が「わしらは独身だが、お前だけは奥さんがおるけん、電話をせい」と言って、「する必要ない」と彼が拒むのを無理矢理させたんです。(中略)
戦後、私が横浜へ植村君の奥さんをお訪ねしてこのことをうかがったら、奥さんはこういう話をされました。
「覚えております。あの晩、どうも寝苦しいので起きて奥の部屋で扇子で顔をあおいでいました。そうしたら素子がいつもは泣くのに泣かずに笑いながらはってきました。『賢いね。素子ちゃん、賢いね』と言っていましたら、電話がジャンジャン鳴り出しました。女ばかりの部屋に、今電話がかかるはずがない。いたずら電話だと思って取らずにいたけれども、いくらたっても鳴り止まないのです」。それで、奥さんがやむを得ず受話器を取ったら、懐かしい主人の声で「オーイ、わしだ」。思わず奥さんが「あなた、今どこですか」と聞いたら、「馬鹿!」。昔は軍隊では場所は言えないんです。「すみません」と言ったら、「素子いるか」「良かった、今ここにいるんですよ・・素子ちゃん、お父さんよ、お父さあんって言ってごらん」。受話器を向けた。でも、まだ物を言うはずがない。誕生日も来てない赤ちゃんです。「あなた、素子はまだ物が言えないわ」「ああ、そうだったな」。彼から泣き声が聞こえたそうです。奥さんも泣いた。そして、彼の方から「良枝」「はい」「すまんが、素子の尻をつねってくれ」と言った。意味の分かった奥さんは受話器を投げ出して、「素子ちゃん」と抱きしめたら、「わ~ん」と泣いた。そしたら、一メートルばかり前の受話器から「聞こえたぞ、聞こえたぞ。ありがとう」。素子ちゃんの泣き声が大村まで飛んだんですね、横浜から。彼は「お母さん、いないか」と言う。お母さんが代わって「夜中に何かあったのかね。どうしたんだい」と言ったら、彼はそれには返事をしないで、「お母さん、子供ってかわいいね。僕はあの子が大きくなってね、お嫁に行くのを見たかった。お母さん、頼むよ」。これが最後の言葉です。
やがて、セブ島へ飛び立つという時に、飛行隊長の部屋で彼が言いました。「隊長、うれしい」「うれしい?貴様は明日の朝、行くんだろう。何がうれしいんだ?死ぬのがそんなにうれしいのか」と言ったら、彼は「隊長。私は学生時代、成績のあまり良くない学生でした。それが選ばれて特攻隊員になりました。ありがとうございました。明日の朝、私が死んだら、日本の勝利につながりますよね」「ああ、日本が勝つぞ」「大好きなお母さん、長生きしますよね」「ああ、長生きなさるぞ」すると、彼は小さい声で「素子も大きくなるだろうなあ」と言いました。隊長が「ああ、素子ちゃんも大きくなるぞ」と言ったら、大声をあげて「隊長、だったらうれしいじゃありませんか」と言ったそうです。後で聞いたら、彼はその部屋を出て、民家に入ってピアノに向かって朝明るくなるまで、日本の歌を繰り返し繰り返し、「荒城の月」などを弾いておったそうですが、翌日、セブ島から九十キロ東へ突っ込んで、死んでおります。

以上の文章は↓の本から抜粋しています。
先生、日本のこと教えて―教科書が教えない社会科授業/服部 剛

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歴史の、特に昭和の歴史の学習を通じて、小学生の皆さんに知ってほしいことは、今の「平和で豊かな日本」がもともとあったわけではないということです。戦争の時代があり、三百十万人もの日本人が犠牲になっています。彼らの尊い犠牲があって、その苦難の歴史を乗り越えて、今の日本がある。先輩たちから日本を引き継いだ現代の私たちは、いっしょうけんめい勉強して、働いて、日本をより良い国にして、未来の子孫たちに引き継いでいかなければなりません。



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